②おうちから街へ。そして、自分たちの色ができる
女性の一生 / お家起業 | 宝物スイッチ⑧
ドリームハウス&習字教室②
おうちから街へ。そして、自分たちの色ができる
2012年 〜 2013年
おうちで始まったドリームハウスが、街へと広がっていく数年です。 ラジオ、広場、イベント——外へ外へと動きながら、私は一度立ち止まり、「何を大切にするか」を選びました。
大きさではなく、質と深さへ。同じ時期、習字教室の子どもたちも教室の外へ飛び出していきました。 大人にはドリームハウス、子どもには習字教室——別々に見えて、私がつくっていたのは同じ「居場所」でした。宝物スイッチの10段階に沿って、振り返ります。
その場にとどまる
オキラジという、新しい場所に立つ
自宅でドリームハウスを続けながら、新しい挑戦として、オキラジでラジオを始めました。 毎週、ラジオ局へ通うようになります。
まだこのときは、そこから何が始まるのかは、分かりませんでした。 ただ、いつもの「おうち」から一歩外へ出て、ラジオという新しい場所に立ったのです。
ワクワクする
「この広場に、お母さんたちを集めたい」
毎週オキラジへ通っているうちに、目の前にあるミュージックタウンの広場が、気になり始めました。 平日の広場を見ながら、こんなアイデアが浮かびます。
自宅から、街へ。また新しいことができそうで、私はワクワクしていました。
夢中になる
できる方法を探して、何度も通う
思いついたら、じっとしていられませんでした。 ミュージックタウンの管理事務所へ、何度も足を運びます。 「私たちは、こんな活動をしています」「お母さんたちが集まれる場所をつくりたいんです」と説明しました。
どうすれば実現できるのか。納得してもらえるまで、私は動き続けました。
繰り返す・工夫する
いくつもの活動を、同時に回す
自宅ではドリームハウス。外ではラジオやイベント。 そして午後になると、習字教室、英語教室、幼児学園。 どれかをやめて新しいことを始めたのでは、ありませんでした。 今まで育てたものを続けながら、新しいものを次々と加えていったのです。
習字教室の子どもたちにも、席書大会、イベント、ラジオ、ボランティアなど、 教室の外の世界を経験させるようになっていきました。
新しいイメージが生まれる
「私一人では無理」
活動が広がるにつれて、すべてを自分一人でやることには、限界があると気づきました。 そこで、こう考えるようになります。 「私が全部やるのではなく、みんなに任せてみよう」。
担当者を決め、それぞれの得意なことを生かす。 「私がやる」から「みんなでつくる」へ。新しい風が、入りました。
いろんな角度から磨く
人に役割を渡し、仕組みをつくる
「お助けママ」をつくり、リーダーを決める。 イベント、ラジオ、講座なども、「この人なら信頼できる」と思える人へ、少しずつ渡していきました。
活動が知られるようになり、「えらぶ」の中部店になったり、東南植物楽園からアイデアを求められたり、ペアーレから見学に来たりすることもありました。 ドリームハウスは、私一人の活動から、みんなで動かす活動へと変わっていったのです。
自信になる
「私が全部やらなくても大丈夫」
任せた人たちが、それぞれの場所で動いてくれるようになりました。 イベント、ラジオ、講座も、どんどん広がっていきます。
習字教室でも、同じでした。子どもたちを教室の中だけに置かず、 七百人規模の席書大会、ラジオ出演、ミュージックタウンでのボランティアなど、さまざまな経験へと送り出しました。
人は、信じて任せることで育つ。大人にも子どもにも、私はそれを感じるようになっていきました。
軸が立つ
「私は、心でつながる人たちとやっていく」
活動が大きくなると、さまざまな人が、私のところへ近づいてきました。 そこで私は、大きく二つのタイプの人がいることに気づきます。
「稼ぎたい」「仕事にしたい」と、お金を中心に考える人。 そして、「誰かの役に立ちたい」「ここが好き」「みんなで支え合いたい」と、居場所や心のつながりを大切にする人。
一度、私はモヤモヤしました。そして、決めたのです。 お金を中心にするのではなく、心でつながるコミュニティをつくる。ここで、ドリームハウスの軸が、はっきりしました。
形にする
欲を抜いた人たちが、自然と残っていく
軸を決めると、不思議なくらい、人の流れも変わっていきました。 ゴリゴリとビジネスを求める人たちは自然と離れていき、残ったのは、私が「透明感がある」と感じる人たちでした。
見返りを求めず、この場所を純粋に楽しむ。困っている人がいれば、できる人が助ける。お互いが、お互いを支える。 私が理想としていたコミュニティが、形になっていったのです。
そして習字教室でも、字を教えるだけではなく、子どもたちにいろいろな経験をさせる場所になっていました。 大人にはドリームハウス。子どもには習字教室。違うように見えて、どちらも私がつくっていたのは、 「人が安心して育っていける居場所」だったのです。
自分のものになる
絆から、もっと深いつながりへ
一年目のドリームハウスは、ものすごく結束力があり、強い絆でつながっていました。 私は、それが理想の形だと思っていました。
ところが、ある人の卒業を境に、私はどーんと落ち込みました。その気持ちは、長く尾を引きました。 けれど、そこからコミュニティの色が、少しずつ変わり始めたのです。 スピリチュアルに関心のある人たちが増え、私自身も霊気を学ぶようになりました。
一年目の「楽しい・仲がいい」というつながりから、二年目には、もっと心の深いところで支え合う関係へ。 人は入れ替わりました。けれど、この時期に残った人たちの中には、その後も長くつながっていく人がいました。
「価値観の合う人たちが一緒に育っていく場所」へ。
ここまで来て、私が理想としていたコミュニティが、できはじめました。
おうちから街へ。そして、自分たちの色ができる
おうちから街へと、外へ外へ広がった数年。けれど私は一度立ち止まり、「何を大切にするか」を選びました。 大きさではなく、質と深さへ。同じ時期、習字教室の子どもたちも、教室の外へと飛び出していきました。
「人が安心して育っていける居場所」でした。

