私は、人を待っていたのではなかった

私は昔、人を待つことが苦手だった。

「どうしてできないの?」
「どうして動かないの?」
「早くしたらいいのに」

そんなふうに思うことがよくあった。

私は子どもの頃から、周りより少し先を歩いているような感覚があった。

人に言われる前に考える。
自分で決める。
自分で動く。

だから、相手にも同じ速さを求めていたのかもしれない。

けれど、子育てをして、その考えは少しずつ変わっていった。

子どもには、その子のペースがある。

こちらがどれだけ急いでも、できない時はできない。
反対に、こちらが諦めかけた頃に、突然できるようになることもある。

習字教室でも同じだった。

一度言えば分かる子もいる。
何度言っても分からない子もいる。

でも、そこで「この子はできない」と決めてしまったら、その先を見ることはできない。

百回言って分かる子もいる。
千回やって、ある日突然できる子もいる。

コミュニティを作ってからは、大人にも同じことを感じるようになった。

私が、

「こうしたらいいのに」

と思っても、その人にはまだその時期ではないことがある。

こちらが良かれと思って先回りしても、本人が自分で気づかなければ動かない。

それなのに昔の私は、待てなかった。

早く結果を出したくて、手を出した。
声をかけた。
引っ張った。

そして、うまくいかなければ、

「なんで?」

と思った。

今振り返ると、私自身もたくさん失敗してきた。

遠回りもした。

人に言われても分からず、自分で経験して初めて分かったこともたくさんある。

だったら、相手にもその時間が必要なのだ。

ここ数ヶ月、私は書くことに夢中になっている。

自分の過去を掘り下げ、昔の出来事を一つずつ拾い、文章にしている。

AIも使うようになり、「人生の図書館」のように、これまでバラバラだった自分の経験を整理するようになった。

すると、不思議なことが起きた。

人のことが、それほど気にならなくなった。

「あの人、まだ動かないな」

「いつになったらやるんだろう」

そんなことを考える時間が減った。

私は、自分の人生で忙しくなったのだ。

書きたいものがある。
調べたいことがある。
作りたいものがある。
昨日より今日、今日より明日と、自分の人生を進めることが面白くなった。

そこで、ようやく気づいた。

相手が動くかどうかは、その人の人生。

その人には、その人のタイミングがある。

私がすることは、その人を動かすことではない。

私は私の人生を進めればいい。

そうして自分の道を歩いていれば、相手が動き出した時には、

「待ってたよ」

ではなく、

「あなたも今、その時が来たんだね」

と言える。

人を待てるようになったのは、忍耐強くなったからではない。

自分の人生を見るようになったからだった。

そして今は思う。

人には、それぞれ育つ時間がある。

早いからいいわけでもない。
遅いから悪いわけでもない。

だから私は、誰かを急がせるより、自分の今日を生きていたい。

その人が自分のタイミングで一歩を踏み出した時、私は私の場所から、

「うん。今だったんだね」

と笑えたら、それでいい。

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