お家起業:習字編①

女性の一生 / お家起業 習字編 ①

アパートから、新築まで

習字教室が、自分の場所を持つまでの物語

1997年 〜 2003年

この章は、わたしの習字教室が、借りものの場所から、自分の家の教室になるまでの記録です。 当時つけていた「教室だより」「久場家作り日記」、毎月作成していた「久場新聞」、そして一年ごとの家族のできごとを書き留めたメモが、いまも手元に残っています。 だから、これは記憶だけで書いた物語ではありません。本当にそのとき何があったのか、資料をたしかめながら、宝物スイッチの10段階に沿って振り返ってみます。

きれいに10段階にはまるかどうか、わたし自身、書きながら確かめていきます。

1

その場にとどまる

1997年12月 〜 1998年8月

習字教室を始めたのは、1997年の12月。生徒はたった2名でした。 ひとりは近所の男の子、もうひとりは、学研に通っていた近所のママ友の子。 場所は、松本のアパートの一室です。

でも、当時は生徒が5名いないと、支部として教室を出すことができませんでした。 だから、この2名の時期は、まだ「自分の教室」とも言えなかったのです。 わたしは、ほかの先生の名前を借りて、教室を続けていました。

5名になる日を待ちながら、焦らず、8か月間、その場にとどまっていました。 華やかな始まりではありません。借りものの名前で、2名の子どもに向き合いながら、じっと続けていた時期でした。

宝物スイッチ①「その場にとどまる」。 まだ形にならない場所で、焦らず、見て、感じて、慣れていく。この8か月の「とどまり」があったから、次の火が生まれました。
2

ワクワクする

1998年8月

1998年の8月。新しく3名が入会して、生徒が5名になりました。 これで、ようやく自分の教室が持てたのです。

借りものの名前ではない、自分の教室。 そのことが、本当に嬉しくて、心に火がつきました。「達成できた」という落ち着きではなく、「ここから始まる」という高鳴りでした。

宝物スイッチ②「ワクワクする」。 ワクワクは、探して見つけるものではなく、火をつけると生まれてくるもの。 この日ともった火を、わたしはそれから何年も灯し続けることになります。
3

夢中になる

1998年〜

アパートの教室なので、習字をするたびに新聞紙を敷きました。 洗面所に墨がつけば、その都度きれいに落としました。 限られた場所でも、子どもたちが気持ちよく使えるように、環境を整えることを大切にしていました。

毎月、手書きの「教室だより」を作りました。海のこと、宿題のこと、用具の片づけのこと。 お楽しみ会では、お化け屋敷、花火、カレーライス。子どもたちとボウリング大会にも行きました。 気づけば、教室のことばかり考えていました。

宝物スイッチ③「夢中になる」。 楽しいから続くとは限りません。地道な準備や片づけの積み重ねの中にこそ、夢中はあります。自分ごととして、集中していた日々でした。
4

繰り返す

1998年〜2000年ごろ

5名になって、自分の支部ができました。もう、宇座先生の名前を借りる必要はありません。 でも——人に教える立場になったからこそ、自分も成長しなければ、と思いました。

当時、わたしはまだ三段ほど。教えるためには、自分がもっと上手にならなければいけない。 だから、教室を続けながら、もう一度、宇座先生のところへ勉強しに行きました。 教える人こそ、学び続けなければならない。一度たどり着いても、また学びに戻る。 この「繰り返し」が、教室を長く続ける力になっていきました。

毎月のたよりも、ポイント制も、季節ごとの行事も、同じことを何度も、何度も繰り返しました。 その小さな積み重ねが、少しずつ、確かな力になっていきました。

宝物スイッチ④「繰り返す」。 自分の教室という形になっても、そこで止まらず、また学びに戻る。①〜③を何度も回すこの繰り返しが、力になり、習慣になっていきます。
5

新しいイメージが生まれる

2000年10月 〜 2001年4月

2000年の秋、実家の2階に二世帯住宅を作る、という話が持ち上がりました。 けれど、これがなかなか、うまくいきませんでした。 プライバシーを守りたいわたしと、業者の考え方がずれる。防音をお願いしても「どうせ変わらんよ」と却下される。設計もいまひとつ。追加料金の不安ばかりが募りました。

いくら考えても、いいように作れない。習字教室を3階に、という案も出ましたが、落ち込むばかりでした。

その行き詰まりの底で——義理の父から、思いがけない一言が出ました。 「別に、土地を買っていい」。それまで自分の中になかった、まったく新しい道でした。

別に土地買っていいと許可が出た。嬉しくて眠れなかった。 ——久場家作り日記より
宝物スイッチ⑤「新しいイメージが生まれる」。 新しい景色は、自分で必死にひねり出すものとは限りません。行き詰まった底で、人の声や出来事など、外側から、ふっとやってくることがあります。
6

具体化する

2001年

「土地を買って、家と教室を作る」。 そう決まってからは、とにかく土地を探し回りました。 倉吉の分譲地、松本の160坪、宮里の土地……あちこちを見て、資料をもらい、坪単価を比べました。

土地探しは、すんなりとは進みませんでした。夫と何度もぶつかりました。 「本当に、探す気があるのか?」——そんな大喧嘩をしたことも、日記に残っています。 それでも、6月、実家の近くにいい土地が見つかりました。

宝物スイッチ⑥「具体化する」。 頭の中のイメージを、計画に、行動に落とし込んでいく段階。ぶつかりながらも、一歩ずつ形にしていきました。
7

いろんな角度から磨く

2001年

この時期、わたしは本当にたくさんの会社を回りました。 住太郎ホーム、タイセイ開発、大和ハウス、サンセイ建設、倉吉産業…… モデルルームを見て、外観と内装を見比べ、設計士や営業の人と話し、風水も確かめました。

言いなりになる相手ではだめだ、と思っていました。 何度も後回しにされた設計士には、自分から「お断りします」と伝えました。 いろんな角度から見て、比べて、選び抜く。妥協せずに、いい家にするために。

イエスマンは駄目。
こう何度も断られて後回しにされて、自分としてはプッツンきている。おもしろくないので、お断りします。 ——久場家作り日記より
宝物スイッチ⑦「いろんな角度から磨く」。 自分ひとりの視野の外から、たくさんの角度を借りて、見直し、比べ、磨いていく。そうやって、価値が高まっていきます。
8

軸が立つ

2001年6月21日

2001年6月21日、ついに土地を契約しました。手付金は350万円。 いくつもの土地を見て、たくさんの会社と話して、迷って——そのうえで「ここにする」と決めた。 もう、戻れない。自分の選択に、軸が立った瞬間でした。

宝物スイッチ⑧「軸が立つ」。 さんざん比べて磨いたあとに、「これでいく」と腹を決める。ブレない自分になる段階です。
9

形にする

2001年末 〜 2002年

土地が決まっても、家づくりは簡単には進みませんでした。 設計士がなかなか動いてくれない。待っていても、前に進まない。

そこでわたしは、自分で3Dのパソコンソフトを買ってきて、自分で設計を始めました。 人任せにするのをやめて、自分の手で、家の形を描いていったのです。 自分で作った設計図を持って、あちこちの工務店をあたり、打ち合わせを重ねました。 そして最終的に、平良建設に決めました。

なかなか設計士が動かないので、自分で3Dのパソコンソフトを買ってきて、自分で設計し始める。 ——久場家作り日記より
宝物スイッチ⑨「形にする」。 頭の中と資料の中にあったものを、実際に、外に、形にしていく。人任せにせず、自分の手で作り上げていく段階です。
10

自分のものになる

2003年9月

そして、平成15年(2003年)9月、新築が完成しました。 アパート(松本)で、2名から始めた習字教室が、ついに自分の家(美里)の教室になったのです。

借りものの名前で耐えた日々も、5名になって火がついた日も、土地を探して喧嘩した日も、自分で設計図を描いた日も—— すべてが、この一軒の家に吸収されて、わたし自身の一部になりました。外から足したものではなく、自分そのものになったのです。

じつは、完成が近づいたころ、わたしは新聞にこんな一文を投稿していました。 念願のわが家ができるのに、ただ嬉しいだけではない、正直な気持ちも書いていたのです。

一番楽しかった時期は設計段階のころ。今は思っていたのと違っていたり、「ここはあぁすればよかった」と思うところもあり、以前のようにウキウキ気分になれない……。長く住んだこのアパートにサヨナラするんだと思うと、寂しい気もします。もうすぐ、わたしたち家族の第二の人生が始まります。 ——当時(33歳)の新聞投稿「念願のわが家完成」より

⑩は、めでたし、で終わる場所ではありませんでした。 一番ワクワクしたのは、じつは形にする途中だった。完成には、少しの寂しさもまじっていた。 それでも——ここから、家族の第二の人生が始まる。⑩は、次のはじまりでもあったのです。

宝物スイッチ⑩「自分のものになる」。 やってきたことが、しっくりきて、自分の中に吸収されていく。そしてこの「新築」が、次の新しい①「その場にとどまる」の出発点になります。

ひと巡りして、見えたこと

こうして振り返ると、1997年から2003年までの約6年間で、わたしの習字教室は、宝物スイッチの①から⑩を、たしかに一周していました。 しかも、大きな一周の中に、小さな一周が入れ子になっていました。 「借りものの名前 → 5名で自分の教室」という最初の小さな一巡り。その上に、「アパートの教室 → 自宅の教室」という大きな一巡りが乗っている。

そして気づくのです。土地を探し、会社と交渉し、自分で設計をしていたその同じ時期にも、わたしは毎月きちんと教室だよりを作り、お楽しみ会を開き、子どもたちとボウリングに行っていました。 ひとつの周回が終わるのを待ってから次を始めたのではなく、いくつもの周回が、同時に、重なりながら回っていたのです。

⑩は、終わりではありませんでした。 新築という「自分のもの」を土台にして、習字教室の物語は、次の①へと続いていきます。
女性の一生 / お家起業 習字編 ① | くばえつこ

うまんちゅトーク ―― 数々の障害

「家を建てよう」と思い、着工までに二年かかりました。その間に建築士、測量士、土地を売った人、土木事務所とのトラブルが続きなかなか前に進まず、挙げ句の果てに住居建設予定の敷地前に電柱が建てられ、それを移動するためにもお金がかかり、散々な日々を送ってきたわたしたち。

「土地の神様にきちんとあいさつしなかったのがいけなかったのかな?」と主人と反省し、着工は始まってしまいましたが自分たちで線香を持って「うーとーとー」してきました。これからまた何が待ち受けているか恐怖です。家を建てるということは本当に大変な作業だとつくづく実感しています。

無知ということを悟り、昨年宅建主任者の資格も取得し、パソコンで毎日小さなことでもいいから日記を書き、デジカメで写真も撮り、何が起こっても動じない態勢をとっているわたしです。あとは週二回、手抜きがないか見に行くだけ。頑張るぞ。

―― 沖縄市(33歳・主婦)


建築中のわが家。足場が組まれたころ

念願のわが家完成

うまんちゅトーク ―― 念願のわが家完成

わが家が来月完成予定です。土地の購入から始めて、ここにたどり着くまでの道のりと言ったら長かったです。何度も夫とも、頭がおかしくなりそうな程いろいろトラブルが続いたり。その都度クリアしてきて、やっと、やっと来月完成なのです。

一番楽しかった時期は設計段階のころ。今は思っていたのと違っていたり、「ここはあーすればよかった」と思うところもあり、以前のようにウキウキ気分になれないわたし。今はアパート暮らしで、娘も近所にたくさん友達がいて、わたしたちもこのアパートに長く住んでいい思い出もたくさん。あと一カ月でここもサヨナラするんだと思うと寂しい気もします。

もうすぐ、わたしたち家族の第二の人生が始まります!

―― 沖縄市(33歳・主婦)匿

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