女性の一生 / お家起業 習字編 ⑥
女性の一生 / お家起業 習字編 ⑥
学び続ける先生へ
教える人になっても、私は習うことを、やめなかった
2009年 〜 2011年
十八畳の理想の教室が完成し、運営も少しずつ安定してきたころ。自信も、出てきました。 でも私の胸には、すぐにもう一つの思いが芽生えていました。——「もっと、教えられる先生になりたい」。
この章も、当時の「教室だより」「家計簿」をたしかめながら、宝物スイッチの10段階に沿って振り返ります。 先生になっても学びつづけたことで、教室も、生徒も、そして私自身も大きく育っていった——その数年の物語です。
その場にとどまる
増築した教室で、まだ足りないもの
二〇〇九年、私はついに十八畳の教室を手に入れました。長いあいだ夢見た、理想の教室です。 生徒も増え、教室の運営も、少しずつ安定してきました。
「これで満足」——そう思ってもよかったのかもしれません。 でも私の胸には、すぐに次の思いが芽生えていました。「もっと、教えられる先生になりたい」。 満たされたはずの場所で、私はまた、新しい渇きを抱えていたのです。
ワクワクする
「理屈で教える」との出会い
実は、ずっと以前から、私は南桃原の玉城先生のところへ通っていました。 すすめてくれたのは、父です。「ここへ行ってみたら」——父はいつも、私を学びの場へ導いてくれました。
玉城先生は、ただお手本を真似させるのではありませんでした。 「二分の一」「半分」——子どもにも分かる言葉で、なぜそう書くのかを、理屈で教えてくださる。 線をどこで半分に分けるか、どこに中心を置くか。その一つ一つに、ちゃんと理由がある。
これだ、と思いました。この教え方を、自分の教室にも取り入れたい。 ——いま私が生徒に教えているやり方は、このとき玉城先生から教わったものです。
夢中になる
学びを、毎日の授業へ
教わったことを、私はすぐに教室へ持ち帰りました。毎日の授業で、実践してみる。 「二分の一」「半分」と言いながら、子どもたちに筆の運びを伝えていきました。
一人ひとり、つまずくところは違います。だから、その子に合わせて、どう言えば伝わるかを考える。 もっと分かりやすい教え方はないか——気づけば私は、「教え方を研究すること」に、夢中になっていました。
繰り返す・工夫する
「どうしたら伝わるか」
一度でうまくいくことは、ありませんでした。 今日はこう言ってみよう、次はこう変えてみよう。「どうしたら伝わるか」を、私は考えつづけました。
うまく伝わった言い方は、書きとめて、また使う。伝わらなかったやり方は、変えていく。 その繰り返しの中から、少しずつ、私らしい指導の形が出来上がっていきました。
新しいイメージが生まれる
父が見つけた、新しい風
あるとき、父が、市役所で開かれていた書の作品展をたまたま見かけました。 大きな作品がずらりと並び、父はすっかり心を惹かれて、「自分も習いたい」と言い出しました。 私は付き添いのつもりで、その教室へ父を連れていきました。
ところが、案内には「男性はお断り」とあります。父は入れません。それなら——と、私は言いました。 せっかくここまで来たのだから、今度は自分が学んでみたい。そう思って、私が入会したのです。 (息子が保育園に入って、昼間あずけられるようになったからこそ、通えるようになりました。)
そこが、北中城の、八十歳のともよせ先生の教室でした。 通ってみて驚いたのは、そこが大きな作品をつくる場所だったこと。掛け軸、自由作品、大きな紙に大きな字。 決められたお手本を整える日本習字とは、まるで違う世界です。 私は、いつもの習字からぽんと飛び出したような感覚になりました。新しい風が、吹き込んできたのです。
いろんな角度から磨く
年齢は、関係ない
そのころから、私の教室には、大人の生徒が少しずつ増えはじめました。 中でも忘れられないのが、とみこさんです。 六十五歳ごろから習字を始め、シルバー人材で働きながら、教室に通ってこられました。
その姿が、教えてくれました。——人は、何歳からでも成長できる。 子どもだけでなく、大人にも教える。相手の年齢に合わせて、教え方を変えていく。 教える幅が広がるほど、私自身の教える力も、いろんな角度から磨かれていきました。
自信になる
子どもたちが、ぐんぐん育つ
教え方が具体的になるにつれて、子どもたちの段級位も、ぐんぐん上がっていきました。 観峰賞を受賞する子も増え、高段位まで育つ生徒も、出てきました。
かつて、三級から先へなかなか進級させられず、悔しい思いをした私が、 いまは、子どもたちを高いところまで育てられるようになっている。 教えることへの自信が、確かに深まっていきました。
軸が立つ
2009〜2011年・私自身も、毎年一段ずつ
教えるだけでは、ありません。私自身も、挑戦を続けました。
二〇〇九年に毛筆六段、二〇一〇年に毛筆七段、そして二〇一一年には、京都で毛筆八段。 同じ年に、書写検定二級にも合格しました。毎年、一段ずつ。 先生である私自身が、止まらずに育ちつづけていたのです。
形にする
教室が広がり、暮らしを支える
教えていたのは、習字だけではありませんでした。英会話教室に、幼児学園。 その習字教室も、新たに水曜日のクラスを開き——生徒の数は、どんどん増えていきました。
いくつもの教室が育ち、毎月およそ三十万円の収入を、続けて得られるようになりました。 子どもたちも元気に育ち、家も完成し、暮らしの土台が、一つずつ整っていく。 好きで始めたことが、家族の暮らしを支える仕事になったのです。
自分のものになる
習字が、人生の土台に
先生は、教えるだけの人ではない。学びつづける人でもある。 ——この数年で、その在り方が、すっかり私自身のものになっていました。
学びつづけたことで、教室も、子どもたちも、そして私自身も、大きく育ちました。 好きな習字を仕事にし、家族を支え、安定した暮らしを築くことができた。 習字は、いつのまにか、私の人生の土台になっていたのです。
学び続ける先生へ
理想の教室が完成しても、私は立ち止まりませんでした。 玉城先生に、ともよせ先生に——父が導いてくれた学びの場へ、教える人になっても、私は通いつづけました。
——好きな習字が人生の土台になったことが、何より大きな宝物でした。

